Apple Watchのワットは何を表すのか|2年分357本のデータで検証

ランニングを終えると、ワークアウトの記録に「平均パワー」という項目があります。単位はW(ワット)。だいたい180とか200とか表示されます。

この数字を見て、何をすればいいのか分からない人は多いはずです。

この記事では、あるランナーの2年分・357本の記録を使って、この数字が実際に何を表しているのかを確かめます。

先に結論を書きます。

ワットは「速度の言い換え」に近い数字でした。 そして、単独で見ても走力の伸びは分かりません。 ただし、ある使い方をすると意味が出てきます。

そもそもランニングパワーとは

自転車の世界には昔からパワーメーターがあります。ペダルの軸にひずみゲージを仕込み、実際に加わった力を測っているものです。

ランニングのワットは、これとは違います。

Apple Watchのワットは推定値です。 加速度センサーとジャイロセンサーの動きから、アルゴリズムで算出しています。足に力の測定器を付けているわけではありません。

そしてもう一つ厄介な点があります。ランニングパワーには標準がありません。

Apple、Garmin、Polar、Coros、Stryd。それぞれが独自の方法で計算しており、同じ走りでも表示される数字が違います。 比較テストでは、GarminとPolarがApple・Stryd・Corosより3割ほど高く出ると報告されています。

理由の一つは、着地時の腱の弾性による跳ね返りを計算に含めるかどうかの違いだと説明されています。GarminとPolarは含め、AppleとStrydは含めない方針のようです。

つまり「200W」という数字に、メーカーを超えた共通の意味はありません。 他人のワットと自分のワットを比べても意味がない、ということです。

実測1:ワットは何と連動しているか

ここから実データです。357本の走行記録で、ワットが何と一緒に動いているかを調べました。

組み合わせ相関係数
ワットと速度0.906
ワットと心拍0.307
ワットと走行距離−0.169

相関係数は、2つの数字がどれだけ連動しているかを示します。1に近いほど強く連動します。

ワットと速度は0.906。 ほぼ一緒に動いています。

実際に回帰式を当てはめると、ワットの変動の82%が速度だけで説明できました。 残りの18%を、坂や路面などが説明していることになります。

一方、ワットと心拍の相関は0.307しかありません。 つまりワットが高いからといって、きつい走りだったとは限らないということです。

ペース帯で並べると、連動の素直さがよく分かります。

ペースワット
5分40秒〜162
5分10秒〜5分40秒172
4分50秒〜5分10秒185
4分30秒〜4分50秒196
4分30秒より速い206

速く走ればワットが上がる。それだけです。

実測2:2年走ってもワットは上がらなかった

ここが一番重要な発見です。

同じペース帯(1kmあたり4分50秒〜5分10秒)で走った日だけを抜き出し、2年間の推移を見ました。

時期ワット心拍
1年目前半188172
1年目後半184166
2年目前半182160
2年目後半186160

ワットはほぼ変わっていません。 182から188の間で、上下しているだけです。

一方で心拍は172から160へ、12拍下がっています。

この2年間で、このランナーのフルマラソンは4時間ちょうど付近から3時間32分付近へ、28分縮みました。走力は明らかに上がっています。

にもかかわらず、ワットは動いていない。

ワットは「成果」、心拍は「代金」

この結果は、考えてみれば当たり前です。

同じペースで走るのに必要な仕事量は、走力が上がっても変わりません。60kgの身体を同じ速度で前に運ぶ仕事は、初心者でも上級者でも同じです。

変わるのは、その仕事をこなすためのコストのほうです。

ワットは出した成果を表しています。心拍は支払った代金です。

走力が上がるとは、同じ成果をより安く買えるようになることです。だから成果(ワット)は変わらず、代金(心拍)だけが下がる。

ワットを単独で見ても、伸びは絶対に見えません。 これが分かっていないと、「2年走ったのにワットが上がらない」と悩むことになります。

実測3:雪道ではワットも落ちた

ランニングパワーの売り文句の一つに、こういうものがあります。

「坂や風でペースが乱れる状況でも、出力は一定に保てる。だからペースより信頼できる」

これを実データで確かめました。このランナーは積雪地で走っており、冬は雪道が中心になります。

心拍155〜168に揃えて、冬と非冬を比較しました。

ペースワット
非冬4分52秒190
5分08秒179

同じ心拍なのに、冬はペースが16秒遅く、ワットも11W低い。

つまりワットは雪道を見抜けませんでした。 同じだけきつい思いをしているのに、表示は下がります。ペースと一緒に落ちているだけです。

これは「ワットが間違っている」という話ではありません。雪の上では前に進む仕事が実際に減っているので、出力としては正しい。間違っているのは「ワット=きつさ」という受け取り方のほうです。

実測4:坂では、少しだけ効いていた

では坂はどうか。雪と違い、上り坂では身体を持ち上げる仕事が増えます。理屈の上では、速度が落ちてもワットは維持されるはずです。

GPSの標高データから勾配を計算し、30秒ごとの区間に分けて調べました。ここでも心拍155〜168に揃えて比較しています。約29,000区間分のデータです。

勾配速度ワット
上り1〜3%−2.6%−1.1%
上り3〜6%−4.5%−2.8%
上り6%超−7.7%−5.1%
(参考)雪道−5.5%−5.8%

坂では、ワットの落ち幅が速度より小さくなりました。

急な上り坂では速度が7.7%落ちるのに対し、ワットの低下は5.1%にとどまります。坂の分が、部分的に補正されていることになります。

ただし、補正は完全ではありません。理屈の上では維持されるはずのワットが、実際には5%落ちています。坂の仕事を3分の1ほどしか拾えていない計算です。

雪道と並べると差がはっきりします。坂では2.6ポイント分の補正が効いたのに対し、雪道ではまったく効きませんでした。

理由は推測できます。坂は標高データから計算できますが、路面の滑りやすさは計算できません。 センサーから雪を検出する方法がない以上、これは仕様上の限界です。

では、どう使えばいいのか

ここまでを踏まえた使い道を挙げます。

強度の即時確認に使う。 心拍は上がるまでに1〜2分かかります。ワットは動いた瞬間に反応します。インターバルのように短く強度を切り替える練習では、心拍より早く現状を教えてくれます。

ワットと心拍をセットで見る。 これが最も実用的です。同じワットを、より低い心拍で出せるようになっていれば、走力が上がっています。片方だけでは分かりません。

同じ時計の中だけで比べる。 メーカー間の互換性がないので、他人の数字と比べる意味はありません。自分の過去と比べてください。

上下動と接地時間も一緒に見る。 参考までに、このランナーの2年間では上下動は7.4〜7.9cmでほぼ一定、接地時間はペースが速いほど短く(234ms→200ms)なっていました。ワットほど速度と直結してはいませんが、こちらも単独では判断材料になりにくい数字です。

体重を考慮する。 同じペースでも、体重が重いほどワットは大きくなります。人と比べるなら体重あたりのワット(W/kg)にする必要がありますが、そもそもメーカーが違えば比較できません。

断っておきたいこと

1人分のデータです。 357本を使っていますが、機種も個人も1つです。

Apple Watchの推定値です。 他社の時計では違う結果になる可能性があります。

急な坂のサンプルが不足しています。 走行区間の95%が勾配±2.9%以内でした。市街地が中心のため、6%を超える坂は全体のごくわずかしかありません。この部分の数字は参考程度に見てください。

下りの結果は解釈できませんでした。 同じ心拍で比べると、下りは平坦より速度が落ちていました。本来なら速くなるはずです。標高データのノイズか、下り区間が路面の悪い場所に偏っていた可能性がありますが、特定できていません。都合の悪い結果なので、そのまま書いておきます。

相関は因果ではありません。 ワットと速度が連動していることは、Appleが速度からワットを計算していることを意味しません。走れば速度もワットも上がるのだから、連動して当然という見方もできます。

まとめ

  • ランニングのワットは推定値。メーカーごとに計算方法が違い、数字を比較できない
  • 実データでは、ワットの変動の82%が速度だけで説明できた。 心拍との相関は弱い(0.31)
  • 2年間で走力が大きく伸びても、同じペースでのワットは変わらなかった。 下がったのは心拍
  • ワットは「出した成果」、心拍は「支払った代金」。伸びとは、同じ成果を安く買えるようになること
  • 坂では部分的に効いた。 急な上りで速度が7.7%落ちる場面で、ワットの低下は5.1%に留まった
  • 雪道では効かなかった。 ペースと同じだけ落ちた。標高は計算できても、滑りやすさは計算できない
  • 使うならワットと心拍をセットで、同じ時計の中だけで
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